誠のノート
三秒で分類した、と書いた。でも三秒で、何を、分類したのか。俺は、真弓を分類したと思っていた。実際は、俺が真弓から受けた印象を、分類しただけだった。真弓そのものは、まだ何も、見えていなかった。
罪と責任は違う。三秒で分類したことは、俺の罪ではない。でも、その分類が正確だと信じ続けたことは、俺の責任だった。
嘘だった。扱いやすかったのは、俺のほうだった。
もし、十七歳のお前に伝えられるなら。間違えたことが、出会いの始まりだった。勘違いは、始まりの別名だ。
あれは内側の革命だった、と今なら言える。「他人の目から自分の目へ」の、静かな移行を、俺はデータとして記録した。ペン先が止まったことも、観察した。でも、なぜ止まったかは、書かなかった。
平等は、無関心の別名だ。俺は真弓の動作を、他の誰の動作とも、同じ重みで扱っていた。
書けなかったのは、特別扱いしたくなかったからだ。特別扱いすることは、俺の構造への侵入を許すことだった。
もし、十七歳のお前に伝えられるなら。恐れること自体が、何かを感じている証拠だった。
あの問いに、十八年後の俺が答える。事実が傷つけるのではない。事実の渡し方が、傷つける。真弓が求めていたのはデータではなかった。「一緒に頑張ろう」という、伴走の意思表示だった。
共感の回路が、十七歳の俺にはなかった。回路がないから、渡し方を知らなかった。知らないことは罪ではない。でも、知ろうとしなかったことは、俺の責任だった。
もし、十七歳のお前に伝えられるなら。事実は武器になる。振り方を知らないまま振ると、傷つける。
「再生されない」と答えた直後から、真弓の言葉が再生され始めた。その矛盾に、翌朝まで気づかなかった。
あの夜、真弓は眠れなかった。俺は絵を描いていた。同じ夜を、まったく別の密度で生きていた。その差を、俺は認識する術を持っていなかった。認識できなかったことが、最初の傷だった。
もし、十七歳のお前に伝えられるなら。再生されることは弱さではない。何かを大事に思っている証拠だ。
原因は特定できていた。俺が特定を避けていただけだ。真弓は嫉妬していた。「それもお前のものだ」と言った。あれは、俺が人に渡せた、初めての本物の言葉だったかもしれない。
嫉妬は愛情の変形だ。誰かを大事に思っているから、その人の近くにいる別の誰かを遠くに感じる。真弓の嫉妬は、俺への愛情だった。
もし、十七歳のお前に伝えられるなら。嫉妬されることは、存在を認められているということだ。
「楽しかった?」と真弓に聞かれて、俺は「分からない」と答えた。これは俺の言語の最初の獲得だった。「楽しい」が計算できないという事実を、俺は初めて認めた。
引き算は洗練だ。でも群れを引くと、群れの中にいる誰かも一緒に引かれる。真弓も、一緒に引かれた。意図していなかった。でも、そういう構造だった。
もし、十七歳のお前に伝えられるなら。「分からない」と言えた日が、お前の始まりだった。
俺は否定した。真弓は信じた。でも、安心しなかった。「事実は確認できても、感情は確認できない」と、真弓は言った。あれは真弓が自分の内側に触れた瞬間だった。俺はそれを感情論として処理した。
俺の中の真弓の像も、外側からの観察を繰り返すうちに「真弓の事実」として固まった。固まった像は、本物の真弓と少しずつ離れていった。
もし、十七歳のお前に伝えられるなら。固まる前に、ほどいてほしかった。
嘘だった。分析は終わっていた。フォルダが存在していなかっただけだ。「真弓に対する感情」というフォルダを、俺は作ることを拒んでいた。作ると確定する。確定すると、構造が変わる。
感情があった。ただ、それを認める仕組みを、俺は持っていなかった。
もし、十七歳のお前に伝えられるなら。本物の痛みを、選んでほしかった。
俺が先に「悪かった」と言えた。これは、俺の人生における初めての謝罪だった。謝罪とは、自分の行動が相手を傷つけたという認識を持つことだ。
真弓が怒ったのは、俺のことを大事に思っていたからだ。どうでもいい人間には、本物の怒りを向けない。真弓の怒りは、愛情の最後の形だった。
もし、十七歳のお前に伝えられるなら。初めて泣いた日を、覚えておいてほしい。感情が存在した、最初の証拠だった。
選択ではなかった。方法を知らなかっただけだ。内側への入り方が分からなかった。外側に留まることを「選択」と呼んで、俺は自分を守っていた。
集合写真の端に立ったとき、俺は自分の位置を確認した。フレームのぎりぎり。少しずれれば、消える。今なら、あれが悲しさだったと分かる。
もし、十七歳のお前に伝えられるなら。外側から見えていたものがある。それは内側にいては、見えなかったかもしれない。
捨てられなかった。ゴミ箱の上にかざして、手を離せなかった。「捨てちゃいけない」という声が、俺の中のこれまで聞いたことのない場所から聞こえた。
真弓も、同じ夜、白い封筒をゴミ箱の上にかざしていたと、俺は知らない。同じ街の別々の部屋で、同じ動作をしていた。同型の人間が、相棒になる。
もし、十七歳のお前に伝えられるなら。捨てられないものは、捨てなくていい。所有は、縛られることではなく、過去を未来に運ぶことだ。
「会いたい」という感覚が生じた、と書いた。これは俺の共感回路の最初の完成だった。感情が言語になった瞬間だった。ただ、遅すぎた。真弓はすでに別の方向に歩いていた。
振り返らなかったから、「また、会おうね」が最後の像として保存された。保存されたから、抱えてこられた。
もし、十七歳のお前に伝えられるなら。「会いたい」と思えたこと自体が、お前の到達点だった。
校門の前に立って、真弓がそこにいる気がした。振り返らなかった。十八年前と同じ選択をした。「また、会えたな」と、俺は心の中で言った。
信じるとは、相手の行動を期待することではない。相手の存在を受け入れることだ。真弓は、今、どこかで生きている。それだけで、十分だった。それが、相棒の意味だった。
もし、十七歳のお前に伝えられるなら。感情を捨てたのではない。表現できなかっただけだった。信じる、ということを、忘れないでいてくれ。
