真弓の手紙
机の上に、白い封筒がある。封筒の宛名は、書かれていない。
引き出しの奥に、十八年、入っていたものだ。
十七歳のとき、私は、誰かに、手紙を書いた。
渡さなかった。
渡せなかったのではなく、渡す必要がなくなった、と判断した。そのことを、私は、今でも、間違いだとは思っていない。
二〇二四年の十月。私は、段ボール箱を、開けていた。
来年の春に、引越しをする予定だった。結婚が、決まっていた。相手は、いい人だった。一緒にいると、穏やかだった。
段ボール箱の中には、高校時代の荷物が、入っていた。教科書。日記。小さなぬいぐるみ。そして、一冊のノート。
ノートの間に、白い封筒が、挟まっていた。
取り出した。
開けた。
中に、便箋が、一枚、入っていた。
十七歳の自分の筆跡だった。
あなたのことが、好きでした。
過去形で書くのは、もう、終わった気持ちだからじゃない。これから先も、たぶん、好きでい続けるけど、未来形で書くのは、なんとなく、怖かったから。
でも、これは、伝える必要のない気持ちだった、と今、思いました。
あなたは、私のことを、たぶん、ずっと、ただのクラスメイトの一人として、見ていた。
それは、悪いことじゃない。あなたは、ただ、あなたなだけだから。
だから、この気持ちは、私の中だけに、しまっておきます。
卒業まで、一緒の学校にいるけど、もう、深く話すことは、しないかもしれません。
でも、最後に、ちゃんと、お別れの挨拶は、したいから。
最後の日に、また、声をかけさせてください。
ありがとう。これまでの、いろんな話、ぜんぶ。
真弓は、便箋を、読み終わった。
読み終わってから、しばらく、その文字を、見ていた。
誠のことを、思い出そうとした。
思い出せた。
静かな男の子だった。いつも、ノートを、持ち歩いていた。話しかけると、答えてくれた。論理的だった。少し不思議な人だった。同じ学校に三年間いた。卒業式の日に、屋上で、最後に少し話した。
県外の高校に進んだ、と聞いた気がした。その後のことは、知らなかった。
どこかで、今も、生きているだろう。
真弓は、便箋を、封筒に、戻した。
封筒を、段ボール箱の底に、しまった。
捨てなかった。
これは、十七歳の自分が、誰かを好きだったことの、証だから。誠への気持ちのためでは、なかった。あのとき確かに存在した、十七歳の自分への、愛着だった。
真弓は、段ボール箱の蓋を、閉めた。
次の箱を、手に取った。
真弓の引き出しには、もう、白い封筒は、ない。
段ボール箱の底に、入っている。
段ボール箱は、来春、新しい家に、運ばれる。
新しい家で、また、どこかの棚の奥に、しまわれる。
十七歳の真弓の手紙は、そのまま、誰にも読まれずに、存在し続ける。
それで、十分だった。
