群れる
机が片寄せられ、模造紙と絵の具が散らばっている。
誠の席だけ、いつも通り、ノートが広げられている。
場の空気は、誰のものでもない。だから、誰も、責任を取らない。
教室で、誰かが冗談を言う。みんなが笑う。本当は、それほど面白くなかったかもしれない。でも、笑った。なぜなら、他のみんなが笑っていたからだ。
会議で、誰かが提案する。みんなが頷く。本当は、それほど賛成ではなかったかもしれない。でも、頷いた。なぜなら、他のみんなが頷いていたからだ。
SNSで、誰かが意見を投稿する。みんなが「いいね」する。本当は、それほど共感していなかったかもしれない。でも、押した。なぜなら、他のみんなが押していたからだ。
これが、群れる、という現象だ。
群れることは、悪いことではない。むしろ、人間が社会を維持するために、必要な機能だ。みんなと違う行動を取り続けたら、集団からはじき出される。はじき出されたら、生き残れない。だから、人間の脳は、場の空気を読み、それに合わせる機能を、最初から組み込んでいる。
でも、この機能には、副作用がある。
群れに合わせ続けると、自分の本当の意見を、忘れてしまう。忘れたことすら、自覚できなくなる。そして、群れから離れたとき、自分が何を考えていたのか、思い出せない。
誠は、群れなかった。
真弓は、群れていた。
そしてその差が、九月のある日、二人のあいだに、決定的な裂け目を作ることになる。
裂け目を作ったのは、誠でも、真弓でもなかった。
裂け目を作ったのは、文化祭という、ただの行事だった。
九月の上旬、二学期が始まって一週間で、教室は、文化祭の準備に入った。
真弓のクラスは、出し物を、お化け屋敷にすることに決めた。決めたのは、クラスの中心にいる、声の大きい男子と女子のグループだった。多数決でもなく、議論でもなく、誰かが「お化け屋敷にしよう」と言った瞬間に、空気が、その方向に流れた。
真弓は、お化け屋敷には、それほど乗り気ではなかった。本当は、もっと静かな出し物のほうが好きだった。展示でも、カフェでも、よかった。でも、誰かが「お化け屋敷にしよう」と言ったとき、真弓は、何も言わなかった。
言わなかった理由は、自分でも、よく分からなかった。
言わない、という選択を、真弓は、自然にしていた。場の空気が、お化け屋敷を求めていた。その空気に、逆らう必要は、なかった。
こうして、真弓のクラスは、お化け屋敷に決まった。
誠のクラスは、別のものに決まっていた。劇だった。古典文学を翻案した、短い劇を、生徒たちが演じる。脚本も、衣装も、舞台美術も、すべて自分たちで作る。
誠は、最初の話し合いから、参加していなかった。
誠は、文化祭という行事そのものに、参加する気がなかった。準備期間中、放課後の教室に残って準備をしているクラスメイトを横目に、誠は、いつも通り、自分の席で、ノートを広げていた。
誰も、誠に、何かを言わなかった。誠が手伝わないことを、クラスのみんなは、もう、何年も前から、知っていた。
誠は、自分のクラスでは、すでに「群れない人」として、確定していた。
九月の中頃、放課後、真弓は、お化け屋敷の小道具を作っていた。
みんなで、教室の床に新聞紙を広げて、絵の具で骨や血のりを描いていた。真弓は、絵が苦手だった。でも、みんなが楽しそうに描いていたから、真弓も、笑いながら、絵筆を動かしていた。
笑っていた。本当に。
真弓は、群れの中にいることが、嫌いではなかった。むしろ、好きだった。みんなで、一つのものを作る。みんなで、笑う。みんなで、疲れる。その時間は、真弓にとって、心地よかった。
真弓は、ふと、誠のクラスのほうを見たくなった。
誠は、今、何をしているのだろう。
そう思って、真弓は、自分の絵筆を置いて、少しだけ廊下に出た。
誠のクラスを覗いてみた。
誠のクラスでも、生徒たちが、劇の準備をしていた。脚本を読み合わせている子たち。衣装を縫っている子たち。舞台美術を描いている子たち。
その中で、誠は、一人だけ、自分の席で、ノートを広げていた。
誰の手伝いも、していなかった。誰とも、話していなかった。
真弓は、誠の姿を、しばらく見た。
見ながら、思った。
――誠は、いつも、ああなんだ。
その認識を、真弓は、新しく持ったわけではなかった。前から、知っていた。誠は、群れない人だ。それは、誠のキャラクターだった。受け入れていた。
でも、その時、真弓は、ある感情を、新しく持った。
少し、寂しい、という感情だった。
誠が、群れていたら、もっと話せたかもしれない。同じ準備を、一緒にできたかもしれない。文化祭の準備期間中、廊下ですれ違うたびに、お互いに笑顔で挨拶できたかもしれない。
でも、誠は、群れない。
群れない誠は、真弓の届かない場所にいた。
その距離は、第5話で固定したはずだった。
でも、文化祭の準備が始まると、その距離が、また、痛くなった。
真弓は、自分の教室に戻った。
戻りながら、真弓の中で、ある小さな決意が、芽生えていた。
――誠を、誘ってみよう。
誘って、断られても、それは、それだ。誘わずに、距離を固定したまま、卒業まで過ごすのは、もう、嫌だった。
真弓は、自分の小道具作りに戻った。戻りながら、頭の中で、誠への声のかけ方を、組み立てていた。
真弓は、誠の席を離れた。
離れながら、真弓の中で、ある変化が起きていた。
誠は、計算で楽しさを決める人だった。誠にとって、真弓と一緒に過ごす時間は、計算上、楽しくなかった。それは、誠が、これまでの経験から、はじき出した結論だった。
「これまでの経験」の中には、真弓と過ごした時間も、含まれていた。
つまり、誠の計算上、真弓と過ごした時間は、楽しくなかった、ということだった。
真弓の中で、その認識が、確定した。
確定した瞬間、真弓は、誠に対する自分の最後の小さな期待を、手放した。
失望値、6。
真弓の失望は、単なる失恋のような感情ではなかった。もっと、構造的な、根の深い失望だった。
「自分と過ごす時間が、誰かにとって、楽しくない時間として計算されている」
この事実が、真弓を、深いところで、削った。
削られた部分は、簡単には、戻らなかった。
真弓は、お化け屋敷の最後の準備で、白い布を縫っている。
針を持つ手が、いつもより、少しだけ、震えている。
誠は、真弓が席を離れたあと、ペンを持ち直した。
持ち直したが、書く言葉が、見つからなかった。
誠は、自分の発言を、頭の中で、再生してみた。
「楽しさは、計算できる。経験データから、未知の状況の楽しさは、十分な精度で予測できる」
この発言は、誠にとって、事実だった。誠は、これまでの人生で、何度も、楽しさを計算してきた。計算した結果、文化祭の準備に参加する楽しさは、自分にとっては、低いと判定されていた。だから、参加しなかった。
でも、真弓は、その発言のあと、「分かった」「じゃあ、いいよ」と言って、席を離れた。
誠は、真弓の「分かった」を、額面通りに受け取った。本当に、誠の説明を理解したから、引き下がった、と。
でも、ペンを動かしながら、誠の中で、何かが、引っかかっていた。
真弓の最後の表情が、いつもと、少し違っていた。
普段の真弓なら、引き下がるときに、少し笑う。「あなたって、本当に、変わってるね」と、ちょっと冗談めかした顔をする。
でも、今日の真弓は、笑わなかった。
真弓は、ただ、淡々と「分かった」と言って、淡々と「じゃあ、いいよ」と言って、席を離れた。
その淡々さが、誠の中で、新しい違和感になった。
誠は、ノートに、いつものように、その違和感を書こうとした。書こうとして、また、やめた。
書くと、確定する。確定すると、まずい。
誠は、もう、何度も、この感覚を経験していた。
でも、まだ、その「まずさ」の正体を、言語化できていなかった。
誠は、ノートを閉じた。
閉じたあと、誠は、放課後の教室を見渡した。
クラスメイトたちが、楽しそうに劇の準備をしていた。脚本を読み合わせて、笑っていた。衣装を着せ合って、笑っていた。
誠は、その光景を、観察した。
観察した結果、誠の脳内では、こう分析された。
「クラスメイトたちは、楽しんでいる。楽しんでいる対象は、文化祭の準備という活動そのものではなく、活動を共有する仲間との時間だ。仲間との時間が楽しいのは、社会的な動物としての人間の、基本的な欲求だ。俺には、その欲求が、薄い。だから、楽しくない。」
分析は、論理的に、完結していた。
でも、誠の中で、何かが、引き続き、引っかかっていた。
「仲間との時間が楽しい」という、人間の基本的な欲求を、誠は、自分にはないと、判定していた。
その判定が、本当に正しいのか、誠は、初めて、疑問を持った。
もしかしたら、自分にも、その欲求は、あるのかもしれない。
あるけれど、認識できていないだけかもしれない。
認識できていないのは、なぜだろう。
誠は、その問いを、考えようとした。
でも、考え始めると、頭が、痛くなった。
頭が痛くなる、という感覚を、誠は、これまで、ほとんど経験したことがなかった。誠の頭は、いつも、冷静で、明晰だった。
でも、その日、誠の頭は、痛かった。
誠は、考えるのを、やめた。
やめて、自分の絵を、描き始めた。
絵を描いているあいだは、頭の痛みは、消えた。
消えたが、何かが、未解決のまま、誠の中に、残った。
残ったものを、誠は、その日、認識しなかった。
その夜、真弓は、自分の部屋で、白い布を縫っていた。
お化け屋敷の、お化け役の衣装だった。明日の文化祭で、真弓が着る予定だった。
真弓は、針を動かしながら、誠の言葉を、思い出していた。
「楽しさは、計算できる」
その言葉は、第3話の「合理的だ」と、構造的に同じだった。
誠は、感情を、計算で扱う。計算した結果、楽しいか、楽しくないか、決める。決まったことには、従う。
真弓は、その仕組みを、もう、理解していた。
理解しているのに、毎回、傷ついた。
傷つく自分が、馬鹿らしくなってきた。
誠は、ずっと前から、ずっと変わらず、誠だった。誠が、今日、急に変わったわけではなかった。誠は、最初から、計算で楽しさを決める人だった。
変わったのは、真弓のほうだった。
真弓は、誠が変わってくれることを、心のどこかで、期待していた。
その期待は、もう、捨てたつもりだった。第3話で、捨てたはずだった。
でも、捨てきれていなかった。
第6話で、もう一度、真弓は、自分の期待を、捨てる作業をしなければならなかった。
捨てるたびに、真弓の中で、誠の像が、削られていった。
削られた像は、本物の誠から、ますます離れていった。
真弓は、針を動かす手を、止めた。
白い布を、見つめた。
明日、この衣装を着て、自分は、お化けの役をやる。お化け屋敷で、客を驚かせる。みんなと笑う。みんなと写真を撮る。
その時間に、誠はいない。
誠は、自分の席で、ノートを広げているか、絵を描いているかしている。
誠の文化祭は、誠の頭の中で、計算で完結している。
真弓の文化祭は、群れの中で、笑いと共有で構成される。
二人の文化祭は、同じ学校で、同じ日に、行われる。
でも、二人は、その二つを、共有することがない。
真弓は、その事実を、初めて、はっきりと認識した。
認識した瞬間、真弓の中で、誠との「共有」という概念が、ゼロになった。
ゼロになった瞬間、真弓は、ある決意を、固めた。
――もう、誠を、文化祭に誘うことはしない。
――もう、誠と、何かを共有しようとは、しない。
――誠は、誠で、勝手に、生きていけばいい。
その決意は、怒りではなかった。憎しみでもなかった。
ただの、諦めだった。
諦めは、怒りや憎しみよりも、深く、長く、人の中に残る。
怒りは、いつか、燃え尽きる。憎しみは、いつか、薄れる。
でも、諦めは、残る。
残ったまま、その人の世界の、一部になる。
真弓の世界の中で、誠の場所は、その夜、最終的に、決まった。
「同じ学校にいるが、共有はしない人」
これが、真弓の中での、誠の定位置になった。
定位置を決めることは、楽だった。
定位置を決めると、もう、迷わなくて済む。
真弓は、その夜、十八年ぶりに、誠のことを考えずに、眠った。
眠りに落ちる直前、真弓は、自分にこう言い聞かせた。
――やっと、楽になった。
その「楽」は、本当の楽ではなかった。
でも、真弓は、それを、本当の楽だと思い込んだ。
思い込んだまま、真弓は、眠った。
校舎の二階の窓から、誠が、その光景を見ている。
誠は、しばらく、真弓を、見続けている。
翌日、文化祭の当日。
真弓は、お化けの衣装を着て、お化け屋敷で、客を驚かせていた。
客は、よく驚いてくれた。真弓のお化けは、評判が良かった。クラスのみんなに「真弓ちゃんのお化け、最高だった」と言われた。真弓は、笑った。本当に、笑った。
真弓は、その日、誠のことを、ほとんど考えなかった。
考えないことが、こんなに楽なのかと、真弓は、自分でも、驚いていた。
「同じ学校にいるが、共有はしない人」という定位置は、機能していた。
真弓は、その日、笑い続けた。
笑いながら、真弓の中で、何かが、もう、戻らない場所まで、行ってしまったことに、真弓は、気づいていなかった。
同じ日、誠は、自分の席で、ノートを広げていた。
校舎の中は、騒がしかった。クラスメイトのほとんどは、劇の本番で、体育館にいた。誠の教室には、誠のほかには、誰もいなかった。
誠は、ふと、二階の窓から、中庭を見下ろした。
中庭で、お化けの衣装を着た真弓が、客と一緒に、笑いながら歩いていた。客の子どもが、真弓に、写真を撮ってくれと頼んでいた。真弓は、お化けのポーズを取って、子どもと一緒に写真に写った。
誠は、その光景を、しばらく、見ていた。
見ながら、誠の中で、ある現象が起きていた。
普段、誠は、視界に入ったものを、すぐに分析する。観察し、分類し、フォルダに振り分ける。それが、誠の脳の処理プロセスだった。
でも、その時、誠は、真弓の光景を、分析できなかった。
分析する前に、ただ、見ていた。
「ただ見る」という状態を、誠は、これまで、ほとんど経験したことがなかった。
誠は、その状態の自分を、観察しようとした。観察しようとした瞬間、状態が、消えた。代わりに、いつもの分析プロセスが、戻ってきた。
誠の脳内では、こう分析された。
「真弓が、お化けの衣装で、笑っている。客と一緒に、楽しそうにしている。クラスメイトと、共有された時間を過ごしている。これは、真弓にとって、楽しい時間だ」
分析の結果は、シンプルだった。
でも、その分析の下に、誠が、自分でも認識できない、ある感情が、薄く、流れていた。
誠は、その感情に、名前をつけられなかった。
名前のない感情は、誠の中に、消えずに、残った。
誠は、ノートを開いた。
そして、こう書いた。
「真弓は、群れている。群れの中で、笑っている。俺は、群れていない。一人で、ノートを開いている。これは、選択の差だ。優劣ではない。ただの、選択の差だ」
書いて、誠は、その文字を、しばらく見ていた。
見ながら、誠は、その「選択の差」という言葉に、わずかな、不誠実さを感じた。
本当に、これは、選択の差だろうか。
選択の差なら、なぜ、自分は、こんなにも、真弓の光景を、長く見ていたんだろう。
誠は、ノートのその文字を、消しゴムで消した。
消した跡が、ノートに、薄く、残った。
誠は、消した跡を、見つめた。
消した跡は、書いた事実を、完全には、消さなかった。
消した、という事実が、消した跡として、ノートに残った。
誠は、その「消した跡」を、十八年後、もう一度、見ることになる。
見たとき、誠は、その時の自分の感情の名前を、ようやく、知ることになる。
その名前は、「羨望」だった。
引き算は、本来、洗練のためのものだ。要らないものを、引く。引くことで、本質が残る。引くことで、見えてくるものがある。
誠の引き算は、論理的には、正しかった。誠にとって、群れの中での時間は、楽しくなかった。だから、引いた。残ったのは、自分の世界だった。誠は、その世界の中で、自由に、絵を描き、ノートを広げ、思考を深めた。
でも、引き算には、副作用があった。
誠が引いたのは、「群れ」だけのつもりだった。でも、群れの中には、真弓も、含まれていた。真弓は、群れに属していた。だから、誠が群れを引いた瞬間、真弓も、一緒に、引かれていた。
誠は、それを、意図していなかった。意図していなかったが、そういう構造になっていた。
引き算をしたとき、引いたものは、消えない。引いた跡が、残る。
誠の世界の中に、真弓が、いない。いない、という事実が、跡として、残る。
その跡を、誠は、十八年後、ようやく、認識することになる。
引き算は、洗練だ。でも、引き算は、引いた相手の存在を、自分の世界から、消す。消したつもりはなくても、消える。
そして、消えたものは、消えたまま、跡として、残る。
真弓は、誠の「分からない」を、聞いた。
聞いた瞬間、真弓の中で、何かが、ほんの少しだけ、動いた。
誠は、これまで、いつも、答えを持っていた。事実を、計算で、分析していた。「分からない」と言ったことは、なかった。
その誠が、初めて、「分からない」と言った。
真弓は、その「分からない」の中に、何かを、感じた。
感じたが、それを言葉にする気は、もう、なかった。
真弓の中で、誠の定位置は、もう、決まっていた。「同じ学校にいるが、共有はしない人」だった。その定位置を、真弓は、揺るがしたくなかった。
揺るがしたら、また、痛みが戻ってくる。
痛みは、もう、十分だった。
真弓は、誠の「分からない」を、自分の中で、なかったことにした。
「そうなんだ」
真弓は、そう言って、廊下を歩き出した。
歩きながら、真弓は、自分の中で、誠の「分からない」を、消そうとしていた。
消そうとしても、完全には、消えなかった。
消えなかったから、それは、真弓の中で、小さな疑問として、残った。
その疑問は、十八年後、別のかたちで、再び、真弓の中に浮上することになる。
でも、それは、ずっと先の話だった。
その日、真弓は、誠の「分からない」を、なかったことにして、文化祭の打ち上げに向かった。
打ち上げで、真弓は、また、笑った。
笑い続けた。
笑いながら、真弓は、自分が、少しずつ、変わっていくことを、感じていた。
感じていることを、言葉にすることは、もう、しなかった。
誠は、その夜、いつもより、遅くまで、目を開けていた。
目を開けていても、何も、考えなかった。
考えると、また、頭が、痛くなりそうだった。
誠は、考えないことを選んだ。
でも、考えないでいても、頭の中では、勝手に、再生が起きていた。
真弓の、お化けの衣装で笑っている姿。
真弓の、客と一緒に写真に写っている姿。
真弓の、群れの中にいる姿。
これらの光景が、誠の頭の中で、繰り返し、再生された。
誠は、それを、止められなかった。
止められない、という現象を、誠は、これまで、ほとんど経験したことがなかった。
誠の脳は、いつも、自分でコントロールできるはずだった。
でも、その夜、誠の脳は、誠のコントロールを、離れていた。
勝手に、真弓の光景を、再生し続けていた。
誠は、それを、第4話で真弓が経験していたことだと、認識しなかった。
真弓が「頭の中で、勝手に再生される」と言ったことを、誠は、覚えていた。
でも、自分が、今、それを経験していることに、誠は、気づかなかった。
気づかないまま、誠は、その夜、深く眠れなかった。
失望値、誠の側の、傷の蓄積、二件目になっていた。
誠自身は、それを、まだ、認識していなかった。
真弓は、その夜、打ち上げの席で、声を出して笑っていた。誠のことは、考えていなかった。
群れることについて、もう少し、書いておく。
群れることは、悪いことではない。群れない自由を選ぶことも、悪いことではない。
でも、選ぶときに、見落としてはいけないことが、一つある。
群れを引くと、群れの中にいる、特定の誰かも、一緒に引かれる。
その「特定の誰か」を、引きたくなかったとしても、一緒に引かれる。
これは、引き算の構造的な性質だ。要素を選んで引くことは、できない。引くなら、まとめて引かれる。
誠は、群れを引いた。
群れの中にいた真弓も、一緒に引かれた。
誠は、真弓を引きたくなかった。でも、真弓は、群れの中にいた。だから、引かれた。
これは、誠のせいでは、ない。
誠は、悪意を持って、真弓を引いたわけではなかった。
でも、結果として、真弓は、引かれた。
真弓も、悪くない。
真弓は、群れの中にいることを、選んでいた。それは、真弓の自由だった。
でも、結果として、誠から、引かれた。
誰のせいでもない。
でも、結果として、二人は、お互いから、引かれた。
これが、群れる、ということが、関係に与える影響だった。
群れに入れば、群れない人から、引かれる。
群れから出れば、群れの中の人から、引かれる。
どちらにしても、誰かから、引かれる。
これは、悲しいことだろうか。
悲しいかもしれない。でも、避けられないことでもある。
あなたが、もし今、群れにいて、群れない誰かと、すれ違っていると感じているなら、それは、あなたのせいではない。相手のせいでも、ない。
引き算の構造が、そうさせている。
構造を知っていれば、責めずに済む。自分も、相手も。
これが、群れることと、上手に付き合っていく、一つの方法だ。
真弓は、これを、知らなかった。
誠も、知らなかった。
知らないまま、二人は、お互いから、少しずつ、引かれていった。
引かれた跡だけが、残った。
あなたには、もっと早く、この構造を知ってほしい。
知っていれば、引かれても、相手を恨まずに済む。
これが、真弓から、十八年後のあなたへの、三つ目のメッセージだ。
この記事では、以下の概念を参考にした。
- ・同調バイアス (Conformity Bias)


