1-9-1|ここまでの道のりを振り返る

8つのバグを見てきました。
反芻、期待、承認、嫉妬、孤独、恋愛、所有、老い。
それぞれを割り算で分解し、行動できる部分と余りに分けてきました。 余りは消えない。でも、余りだと知っているだけで、振り回されなくなる。
ここまで読んだあなたは、もうこの構造を理解しているはずです。
しかし、理解したはずなのに、なぜかモヤモヤが残っていないでしょうか。 「わかった。でも、なんだろう、この違和感は。」
1-9-2|正解を出していないことに気づいていますか
ここで一つ、確認しておきたいことがあります。
この8つの記事で、私は一度も「これが正解です」とは言っていません。
割り算で余りを出しただけです。 何が正しいかの話は、一つもしていません。
誰かの常識は、誰かの非常識です。 誰かの非常識は、誰かの常識です。
それは何を大切にしているかで尺度が変わる。 Aという事例も、Bという事例も、絶対的な正解など存在しない可能性が高い。
自分が見てきたもの、聞いてきたものだけを信じて、相手に価値観を押し付ける。 それは違います。
私がこの8つの記事で一貫してやったことは、解決策の提示ではなく、解決をするための対策を述べたことだけです。
1-9-3|違和感の正体
では、この違和感は何か。
8つのバグを理解した。構造がわかった。余りの存在も受け入れた。 それなのに、どこかスッキリしない。
それは当然です。
人間そのものが抱える行動は変えられません。 反芻は止まらないし、期待はしてしまうし、承認は求めてしまう。 嫉妬も、孤独も、恋焦がれも、執着も、老いへの不安も、構造を知ったからといって消えるわけではない。
構造を知ることは、消すことではありません。 ただ、「あ、自分は今、こういう感情なんだ」と気づくだけです。
それだけで、生きやすさは変わります。
1-9-4|再定義という行為
正義の反対は悪ではありません。 誰かの正義です。
世の中は正論だけでは成り立たないし、悪いことだけでも成り立たない。 その間にあるグレーの中で、人は生活しています。
黙認し、許容し、折り合いをつけながら。
それをグレーとするか、白とするか、黒とするか。 常識と呼ぶか、非常識と呼ぶか。
それは時と場合で変わるし、文脈で変わるし、受け止め方でも変わる。
だから、断罪するという話ではありません。
どう定義し、解釈されたか。 そして、どう再定義し、再解釈をするのか。
それが気づきであり、学習であり、アイデアです。
誰かの定義に合わせるのではなく、自分で再定義する。 8つのバグは、その再定義をするための材料に過ぎません。
1-9-5|違和感のまま、置いておく
違和感は、解消しなくていい。
むしろ、「スッキリした」と感じた瞬間の方が危険です。 わかった気になって、思考が止まるからです。
違和感が残っているということは、まだ考える余地があるということ。 余りが消えていないということは、まだ向き合う材料があるということ。
8つのバグは、どこかで機能している可能性が高い摩擦です。 完全に消す必要はない。ただ、それがバグだと知っているだけで十分です。
自分の人生を、生きていますか?
この問いに、正解はありません。 あなたが、あなたの言葉で、あなたなりの答えを出すしかない。
その答えは、誰にも否定できません。 なぜなら、それはあなたの人生だからです。
あなた自身がもし私のブログを読んで答えに気づけないとするならば一つの私なりの答えを置いておきます。
下の文章を読み上げから以下のボタンを押してください。
そこにはこのすべての答えが書かれています。
\覚悟はいいですか?/

1-9-6|その生きづらさ、構造につき。【全体を俯瞰する】
「その生きづらさ、構造につき。」全9つのバグと計算式。
すべてのバグに共通していたのは、無意識なら支配され、意識すれば防げるということ。
余りは消えなくていい。 ただ、それが余りだと知っているだけで、十分です。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

